荻原桂子(おぎわら けいこ)
本名・荻原慶子
1895年(明治28年)7月18日 – 1923年(大正12年)10月28日
旧姓は谷。
荻原井泉水の妻であった。
代表句
・此の産みの母を見る目も明かず逝く子よ
・小鳥唄わせ貧しき国の吾は女王
・夕べとなれば風が出る山荘よともし火
略歴
東京芝区で谷寅蔵の次女として出生。
麹町女学校から日本女子大学の家政科に入学するが、後に退学する。
大正2年に荻原井泉水の妻となるが、大正12年に28歳の若さで亡くなる。
法名は徳泉院妙行日貞信女である。
句集として「寂光帖」(桂子句集)がある。
参考文献