放哉の「北朗来庵」考

放哉の小豆島時代は庵で一人寂しく過ごしていたイメージがあります。
それは決して間違ったイメージではないのでしょうが、来訪者がいて賑やかだったこともあるようです。
それがよくわかるのが、放哉の「北朗来庵」という随筆です。

北朗来庵

この「北朗来庵」では 同じ自由律俳句の層雲同人であった陶芸家の内島北朗が放哉を訪ねて島にやって来た時の様子が面白おかしく語られてます。北朗は放哉の庵に5日間も滞在しました。

この随筆も著作権が消滅しているので、こちらから自由に読むことができます。

北朗はその後、荻原井泉水が亡くなった後、層雲の発行人として後を継いだ人物です。
二人の自由律俳人が出会ったわけですから、多くの句作が行われたと思いきや、「只五日間と云ふものニコ/\、ゴタ/\、して居た」だけで、一句も出来なかったようです。
お互いグダグダしながら、楽しんでいた様子が目に浮かびます。

北朗が到着するまでのバタバタした様子、そして北朗のいかにも芸術家的な態度が放哉には面白く感じたようです。

随筆の最後の部分に「風の如く来り而して又風の如く去る、北朗、あの芸術家の北朗よ健在なれ」と句友に対する思いを語っています。

北朗来庵は寂しい庵生活の中で放哉にとって楽しいエピソードだったに違いないでしょう。

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