松尾あつゆき

松尾あつゆき(まつお あつゆき)

松尾あつゆき 自由律俳句

本名・松尾敦之
1904年(明治37年) – 1983年(昭和58年)

学生の頃より、荻原井泉水に師事して自由律俳人となる。
1942年には「層雲賞」を受賞している。
井泉水が亡くなった後、層雲の選者となる。
原爆により妻子を失う。
原爆について読んだ原爆俳人として著名である。
当時、原爆句は占領軍(GHQ)の報道規制に引っ掛かり、公にすることができず、これが発表されたのは1955年の「句集 長崎」以後である。
句集に「原爆句抄」がある。

代表句

・すやすや寝息たてている子のことで争つている
・なにもかもなくした手に四まいの爆死証明

略歴

長崎県北松佐々町にて出生。
長崎高等商業学校を出て英語教師となる。
市立長崎商業学校で教えていたが、その後、長崎市大浦の食糧営団事務所に勤めているときに長崎に投下された原子爆弾により被ばく。
妻の千代子(36歳)、長男の海人(12歳)、二男の宏人(4歳)、次女の由紀子(7か月)が相次いで亡くなった。
長女のみち子(16歳)はその時、生き残った。
戦後は佐世保二中で教えたことがある。
長野県へ移り、屋代東高校(現在の屋代高校)や松代高校にて教壇に立った。
その後、再び長崎に戻る。

参考文献

原爆句抄―魂からしみ出る涙

松尾あつゆき日記―原爆俳句、彷徨う魂の軌跡 (長崎新聞新書)

花びらのような命―自由律俳人松尾あつゆき全俳句と長崎被爆体験