投稿者: 自由律俳句大辞典サイト管理人
俳人、夏井いつき氏に見る自由律俳句復活へのヒント
執筆者:凡夫
テレビで俳句番組というと、「NHK俳句」ということになるでしょうか?
まあ、こういった番組は見る人は見るし、見ない人は見ません。
当たり前ですが…
言いたいのは、俳句に興味がある人しか見ないということです。
「俳句をやってみたい!」「もっと上手な俳句を作りたい!」
そんな思いを持っている俳句愛好家、俳句マニアの方が見る番組と言えます。
しかし、そうではなくてバラエティー番組に俳句が進出していて、ちょっとした驚きがありました。
それは毎日放送の「プレバト!!」
ご存知の方も多いと思いますが、俳句や生け花などに芸能人が挑戦し、専門家がランク付けするというものです。
俳句を査定するのは俳人の夏井いつき氏。
軽妙なトークと共に俳句を査定、添削します。
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このとき、芸能人が作った俳句をより良く作り変えるところが圧巻。
普段、俳句に触れることがない人たちに、「なるほど!!」と思わせるところがスゴイですね。
多くの視聴者に定型俳句の醍醐味を感じさせるこうした番組の存在は俳句のすそ野を広げる上で非常に役立つと言えるでしょう。
これに対して、残念ながら自由律俳句にそうした番組は存在していません。
「自由律俳句って何?」という人に対してアピールできる、「プレバト!!」のような番組があればいいのですが…
それにしても、今後、自由律俳句を活性化させるには、夏井いつき氏に匹敵するような人材を自由律俳句の側にも養成する必要があるかもしれません。
つまり、軽妙な語り口で一般視聴者にアピールでき、しかも、添削でその専門家たる点をしっかりと印象付ける人が…
まだまだ俳句が多くの人たちを惹きつけられる魅力があることがわかると同時に、自由律俳句の課題も見えたような気がします。
吉岡禅寺洞
吉岡禅寺洞(よしおか ぜんじどう)
本名・善次郎
俳号・禅寺童、禅寺堂がある
1889年(明治22年)7月2日 – 1961年(昭和36年)3月17日
初期の頃は定型俳句を詠み、ホトトギスの同人でもあった。
定型俳句の重鎮である高浜虚子を1917年に福岡に招いたが、その時、虚子が詠んだ句である「天の川の下に天智天皇と臣虚子と」から、「天の川」を取り、1918年(大正7年)に清原枴童らと俳誌「天の川」を創刊。
「天の川」はその後、自由律俳句の拠点の一つとなったのは虚子との関係からすると皮肉な感じがする。
1929年には「ホトトギス」の同人となるが、その後、新興俳句運動と関係から1936年には「ホトトギス」から除名された。
戦後は口語・自由律・無季俳句を作るようになり、自由律俳句の一つの流れを代表している。
口語俳句協会会長を務めた。
また「天の川」では富安風生・横山白虹・芝不器男などが育った。
句集として、「銀漢」や「新墾」がある。
福岡市東区箱崎にある禅寺洞の菩提寺である浄土宗の金龍山一光寺には禅寺洞の句碑がある。
また、福岡市にある今泉公園に禅寺洞のモニュメントがあり、「こがねむしが眠っている雲たちはパントマイム」という句が刻まれている。
代表句
・まっしろき 蝶 ひとついて 「時」をはむ
・旅人の眼にだけ 広重の松がある
・黒揚羽が去つた 或る女のように
福岡県福岡市箱崎にて出生。その後、父母と今泉に移住する。
今泉の自宅で病死する。