井上三喜夫

・井上三喜夫(いのうえ みきお)

1904年(明治37年)– 1990年(平成2年)

自由律俳人として活躍。
荻原井泉水が監修した「尾崎放哉全集」を編集したことでも知られている。
他に1939年に「俳句文学新考」を育英書院から出版している。

代表句

・そんな日のだまつて子を抱いて出る
・すずめのあとからすずめがきて うめのえだ
・わたしは かぜに なりたい 春のかぜに

参考文献

尾崎放哉全集

橋本健三

橋本健三 (はしもと けんぞう)

1912年(大正元年)– 1978年(昭和53年)

自由律俳人として活躍。
ロマンティストであったと言われる。
1939年には種田山頭火が遍歴中に南知多町内海の橋本健三を訪問したが、 その時には画家の稲垣勇次郎らと共に近くのお寺で酒を飲み交わした。
この時の思い出を「ふりかへらない山頭火」として記している。
また、「名古屋近代文学史研究」第9号に「織田稔・八切止夫・丸山静」、「名古屋近代文学史研究」第23号に「広津柳浪の師崎療養の頃」という論考がある。
1977年7月に発行された名古屋豆本に橋本健三「大碇紋太郎傳」がある。
因みに大碇紋太郎は尾張国知多郡の出身で、南知多町内海在住の日比長三郎の養嗣子であった。

代表句

・ひとつふたつ暮れてくる提灯が行列へ来る
・提灯つけて祭にする村と山の空

巣山鳴雨

巣山鳴雨 (すやま めいう)

1902年(明治35年)– 1982年(昭和57年)

層雲に加わり、自由律俳人として活躍。
仙台で肺結核のため、自宅療養をしていた層雲の俳友である海籐抱壺を訪問したこともある。
1934年に自由律俳誌の「椿」を創刊、これは鳴雨が編集発行した俳誌であるが1年で休刊。
1936年4月3日、種田山頭火が鎌倉の巣山鳴雨の所に来て泊まったが、その際、鎌倉にいる層雲同人が集まった。

・二階から魚屋の魚見えて秋に入る雨
・赤い花は彼岸花、水に雨ふる
・向うは雪の山へ山吹の咲くのが湯どころ

略歴

神奈川県鎌倉市在住。