関口父草

関口父草(せきぐち ふそう)

1902年(明治35年) –1999年(平成11年)

父の関口江畔と共に層雲同人として活躍。
層雲撰者も務めた。
1936年5月に父草宅に種田山頭火が訪ねていき、逗留した。
その際、父草は自ら按摩をして山頭火をもてなした。
父草の句に「夜の雨おとのそれから肩をもみしな」がある。
また、自由律俳人の近木圭之介もしばしば父草宅を訪問している。
父草の家は鼻顔稲荷神社の近くにあったが、その神社一帯が鼻顔公園になっており、そこに荻原井泉水の句碑がある。
これは父、江畔の遺志で父草が建てたものです。
また、山頭火、関口江畔、関口父草の句碑もあります。

代表句

・一草一仏とおもう花の白さよ
・ランプのホヤをみがいているこんやの月
・ちようちよううみのうえとんでいぬるよ

略歴

俳人の関口江畔の三男として出生。
長野県佐久市岩村田に居住

参考文献

老農詩集 普及版

大越吾亦紅

大越吾亦紅(おおこし われもこう)

本名・大越利一郎
1889年(明治22年)年4月5日 –1965年(昭和40年)年2月28日

若いころから俳句をたしなんだ。
1914年に層雲に加わり、活躍する。
荻原井泉水は吾亦紅を層雲の北極星と称した。
また、「草心句会」を主宰した。
教職についていたため、各地に移動し、その地において句会を催し、後進を育てる。
1946年、俳句の師である荻原井泉水と田植をする。
1952年に層雲賞を受賞する。
1965年に層雲寿老賞受賞、その当日に結腸がんにて他界する。

代表句

・親にそむこう心麦踏みてやわらげり
・クラリオネット、遠い月夜の曲馬団
・こんなよるはふくろうの目を背中に感じる

略歴

秋田県仙北郡角館町にて大越利助とミヤの子として出生。
秋田県立角館中学校、秋田県師範学校を出た後、秋田県において教員となる。
1915年に俳人である佐藤山方の姉に当たるミヤと婚姻、三男二女に恵まれる。
1947年に教員を退職する。
その後は図書館において、司書や館長を務める。

参考文献

岡栄一

岡栄一(おか えいいち)

1903年(明治36年) – 没年不詳

層雲に加わり、自由律俳人として活躍。
新傾向派の作風を高津俳壇に伝えるという。
1924年、同人誌「銀筋」を発行。

代表句

・月光ひらりひらり草の葉
・千羽の雀おえば又来る千羽の秋
・地上の果は青空に続く草笛

略歴

神奈川県川崎市高津区久本の岡信一の二男として出生する。
家は旧家である。
高津小学校から芝中学に進む。
1928年に生家にて医師として働く。
1932年、東京の世田谷にて独立し、開業。