さはらこあめ
1973年(昭和48年)6月9日 –
層雲に所属していたこともある。
2016年にブイツーソリューションより、 2011年から2016年までの句を収めた「く 自由律俳句集」を出版。
代表句
・もうたくさんです夕焼け
・桜咲くらしく母は死んだ
・雷はまだか雨のてっぺんを睨む
略歴
広島県出身
参考文献
執筆者:凡夫
自由律俳句をしている人にとってみれば、「自由律」といえば、当然ながら自由律俳句の略称だという感じで捉えるでしょう。
もっとも自由律俳句に対して「自由律俳句」という名称を用いるのを避けたいという立場の人たちもいます。
そうした人たちはそれぞれの立場から「自由律句」と読んだり、「随句」と呼んだりしています。
それはさておき、自由律=自由律俳句というわけではなく、自由律には他の意味もあります。
例えば、ヤフーで「自由律」と検索してみると、第一位はウィキペディアの「自由律」、第二位には同じくウィキペディアの「自由律俳句」となっていますが、第三位にはミュージシャンの黒木渚の自由律がランクインしています。
定型を打ち破るようなミュージック作品ということで、自由律俳句の精神とまったく無縁とはいえませんが、基本的にはあまり関係ないと言えるでしょう。
それに第一位のウィキペディアの「自由律」には自由律俳句と並んで、自由律短歌についても説明されています。
自由律短歌は石原純を嚆矢とし、その後、前田夕暮らの活躍で知られるようになりましたが、昭和初期でそうした動きもいったん終了しました。
しかし、短歌史にその存在はしっかりと刻印されていると言えます。
自由律にはこれ以外にも自由律川柳の流れもあります。
浅学なので、自由律川柳についてはあまりよく知らないのですが、それでも、川柳の一つの流れとして意識的に作られているのは見逃せません。
これから、もっと究明されていくべきだと思います。
いずれにしても、自由律俳人ならば、その「自由律」という言葉は自由律俳句の専売特許ではないという謙虚な気持ちを持ち続けていたいものです。