伊藤完吾(いとう かんご)
1927年(昭和2年)–
層雲で活躍、編集などを務める。
荻原井泉水亡きあと、「層雲」は伊藤完吾の層雲自由律と、主要同人が集まった「随雲」(後、「層雲」に改称)に分裂する。
この分裂に関しては、伊藤完吾と荻原家とのやり取りの中で「層雲」の名称が使えなくなったこと、にもかかわらず、自身は「層雲自由律」という層雲の名を持つ雑誌を刊行していることなどから、伊藤完吾に対して批判がある。
代表句
・しらじらと朝は仮想の敵
・私の中では海鳴りはもう消えていた
参考文献