木村緑平

木村 緑平(きむら りょくへい)

木村緑平 自由律俳句

本名・木村好栄(ヨシマサ)

1888年(明治21年)10月22日 – 1968年(昭和43年)1月14日

層雲同人として活躍。
昭和38年には層雲文化賞を受賞した。
昭和39年には寿老賞も受けている。
雀の俳人として有名で、すずめを詠んだ句は3千を超えると言われる。
「雀のゐる窓」「雀の言葉」「雀の生涯」などの句集がある。
種田山頭火の親友としても知られ、生活を支えるなど後ろ盾となった。
山頭火は緑平を「南無緑平老如来」と敬愛していた。

代表句

・夕陽ひろびろ我が故里は麦蒔かれ
・うそだらけの世の中にふきのとうが出ている
・雀生れてゐる花の下をはく

略歴

福岡県柳川市西浜武にて出生。
長崎医専を出て、炭鉱医(内科医)となる。
長崎医専在学中から荻原井泉水の門下となる。
昭和2年に明治豊国鉱業所病院、その後、13年には赤池炭鉱病院にて勤務。
妻のツネを昭和25年に亡くす。
昭和26年、フイと再婚。
フイは脳溢血で倒れるが、その「看護日記」が著わされている。
種田山頭火とは無銭飲食をして捕まった山頭火の身元引き受け人になったことから縁が深まった。

参考文献

妙好俳人 緑平さん

俳人山頭火の生涯