大須賀 乙字(おおすが おつじ)
本名・大須賀績(いさお)
1881年(明治14年)7月29日 – 1920年(大正9年)1月20日
俳人であり、俳論家であった。
家柄、学歴、職業ともに、文士としてエリートであり、新傾向俳句の旗手として期待される。
河東碧梧桐の門下として、喜谷六花、小沢碧童と共に「碧門三羽カラス」と呼ばれた。
「海紅」に属したが、後に離れ、俳誌「石楠」を臼田亞浪と創刊した(後、亞浪と別れる)。
また、俳論家としての功績も非常に大きかった。
東京帝大在学中に乙字が出した「俳句界の新傾向」という論考が碧梧桐により新傾向俳句運動へと発展し、その後、新傾向俳句は自由律俳句へと展開していく。
自由律俳句の歴史において、乙字の論考は大きな影響を与えたと言える。
ただし、乙字自身はその後、伝統尊重の立場にたって俳論を展開した。
俳論書や句集などもいくつか出版されている。
代表句
・野遊びや肘つく草の日の匂い
・夜雨しばしば照り極つて秋近し
・火遊びの我れ一人ゐしは枯野かな
略歴
現在の福島県相馬市にて漢学者・漢詩人である大須賀筠軒の子として出生。
祖父は儒学者の神林復所(かんばやし ふくしょ)であり、乙字は学者一家に生まれる。
宮城県第一中学校を出た後、第二高等学校(現、東北大学)、東京帝国大学文学部国文科へと進む。
その後、教職の道を進み、中学、高等女学校で教えたのち、東京音楽学校の教授に就任。
38歳にて逝去。
参考文献