尾崎坡酔(おさき はすい)
本名・尾崎 脩三(おざきしゅうぞう)
別号・巴水
1883年(明治16年) – 1939年(昭和14年)
河東碧梧桐に師事していた.
「層雲」が創刊された際、選者の一人であった。
同じく鳥取市出身の俳人である尾崎放哉とは文学仲間であり、坡酔のほうが2つ年上になる。
鳥取の「もう一人の尾崎」と呼ばれる所以である。
正岡子規の高弟として著名であった俳人坂本四方太が鳥取出身だったこともあり、坂本四方太を中心にした「卯の花会」があった。
坡酔はその「卯の花会」で四天王に次ぐ副将格の一人と目されていた。
この会には尾崎放哉も参加していたと見られている。
地元紙「因伯時報」で俳壇を担当する。
坡酔の次男に嫁いだ尾崎三智子氏により「鳥取の俳人尾崎坡酔」が刊行されており、その著者である小山貴子氏は坡酔を「鳥取俳句史上のキーパーソン」としている。
略歴
鳥取県鳥取市元魚町出身。
鳥取県第一中学校卒(現在の鳥取西高校)
鳥取育児院で事務の仕事につき、慈善活動写真の主任をする。
鳥取キネマ株式会社を経営し、「帝国館」や「世界館」などの映画館を経営するなど実業界でも活躍、鳥取の映画王と言われる。
日活のロケ隊を鳥取砂丘や浦富海岸に誘致する。
鳥取県興行組合長歴任。
参考文献
「鳥取の俳人尾崎坡酔」小山貴子編著 2015年 尾崎三智子発行