小沢碧童

小沢碧童(おざわ へきどう)

本名・小沢清太郎、後に西徳。忠兵衛とも。
別号・碧子
1881年(明治14年)11月14日 – 1941年(昭和16年)11月17日

定型俳句を子規門下の松下紫人より学ぶが、河東碧梧桐の新傾向俳句に惹かれるようになる。
碧梧桐が目薬を買いに来たことが縁になり、「海紅」に加わる。
碧梧桐が外遊した際には碧童に「日本及日本人」を任せるほど信任が厚かった。
大須賀乙字喜谷六花と3人併せて「碧門三羽カラス」と言われた。
また、根岸にあった自宅で俳道場(骨立舎)を開いていた。
作家の芥川龍之介にも俳句を教えていたことがある。
「海紅」を出て、「三昧」に参加したこともあるが、関東大震災後は定型俳句に回帰した。
瀧井孝作編「碧童句集」を次女の小沢朝女が刊行し、第12回読売文学賞受賞。

代表句

・焼け土やほり出す海老も秋暑し
・ふくろうよ妻が一日寝てをり
・家の者よ布団敷くよろこびの満ち

略歴

日本橋魚河岸の魚問屋(現在の東京都中央区)の家に生まれる。
後、「西徳めぐすり」という目薬を作っていた祖父の養子となる。
瀧井孝作の小説「無限抱擁」の主人公の友人青舎のモデルは碧童である。
篆刻にも優れていた。

参考文献

日本詩人全集〈第30〉河東碧梧桐,小沢碧童,中塚一碧楼,荻原井泉水,尾崎放哉,村上鬼城,渡辺 (1969年)