内島北朗(うちじま ほくろう)
本名・内島喜太郎
別号として、北楼・北琅などがある
1893年(明治26年)8月1日 – 1978年(昭和53年)3月28日
自由律俳人であると共に陶芸家であり、随筆家でもあった。
層雲に参加、自由律俳人として活躍し、指導的役割を果たす。
荻原井泉水亡きあとは「層雲」の発行人となる。
代表句
・なんでもない男と女とひぐらしがなく
・口笛吹いて沈みたる海女に海青し
略歴
富山県高岡市の出身。
六世尾形乾山に入門して焼き物を学ぶ。
同門には富本憲吉やバーナードリーチ等がいる。
京都で陶工として活躍する。
1942年から10年ほど長野県の安茂里に移るが、後、京都に戻る。
フランス万国博銀賞を受賞、また帝展にも3回入選した。
俳句は河東碧梧桐、筏井竹の門について学ぶが、後に荻原井泉水の層雲に加わる。
29年には層雲文化賞を受賞している。
他に禅道を山田無文老師から学んでいる。
著書としては「壺屋草紙」「陶房」など多数存在する。
書画にも優れ、そのマルチな才能から「文人墨客の陶工」とも言われている。
参考文献