和田 光利(わだ あきとし)
号は秋兎死
山形県 鶴岡在住の層雲同人。
句友の種田山頭火が和田光利を訪ねたエピソードは有名である。
妻、二三子は短歌をしていた。
代表句
・麦は刈るべし最上の川のおしゆくひかり
・すすきから旗出してすすきのなかにも一軒
略歴
祖父の代には荘内藩(現、山形県鶴岡市)を領した酒井家の重役の家柄だったという。
酒井家は徳川四天王にも列した譜代の名門であった。
しかし、光利の頃には貧窮のなかにいたという。
だが、種田山頭火が来るという葉書をもらい、酒などでもてなすために蔵書を売り払い、職場の宿直を他人と代わったりしてお金を貯めた。
やってきた山頭火はしばらく光利のもとに滞在したが、その間、一流料亭で名妓を侍らしたり、料理屋に上がったりして遊び三昧。
その後始末は光利が苦労して支払った。
トンデモナイ迷惑をかけられたわけだが、光利は山頭火に対して「すこしもうとむ気持ちにはならなかった」という。
自責の念に駆られた山頭火は近所の銭湯に行くといったまま、浴衣に手拭い一本で姿を消した。
つまり、失踪したわけである。
このエピソードは山頭火の来歴に関して、よく語られるものの一つである。
ところで、光利の近くには軍事思想家として知られた元将軍の石原莞爾がおり、光利は話をしたことがある。
参考文献