横山林二

横山林二(よこやま りんじ)

本名・横山吉太郎
旧号・賀茂水
1908(明治41年)12月20日 –1973(昭和48年)2月25日

1924年(大正13年)層雲に入り荻原井泉水門下となる。その後、栗林一石路橋本夢道などと共にプロレタリア俳句運動を行う。
1930年に層雲退会後、「尖行」を設立(後、「俳句前衛」となる)。「プロレタリア俳句」「俳句の友」「俳句生活」などを創刊するが、治安維持法により、1941年から1943年まで投獄される(新興俳句弾圧事件)。
戦後は新俳句人連盟常任委員、現代俳句協会会員、「道標」同人。
死去した年、「俳句人」1973年6月号で「横山林二追悼特集」が組まれている。遺稿である「喪失」の他、関係者が寄稿。

略歴

東京都港区に生まれ、芝新網町(現在の浜松町)で成長する。芝新網町は江戸期以来、三大貧民窟として知られ、明治以降もスラム街を形成していた。
父は露天商、母は日雇い、姉は芸者、女工として生計を立てていた。林二は貧民層のために作られていた特殊小学校や専修商業学校を経て、早稲田大学政経学部卒。
こうした経歴がプロレタリア俳句へと進んだ背景と思われる。
品川区上大崎の自宅にて64歳で逝去(喀血による窒息)。